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女優 高峰 秀子について

ブログの下書きを開始して公開するまで1年以上かかることも時折あります。私の好きな女優さんの「高峰秀子」さんについてのブログもそんな年越しブログの一つでした。ところが昨年の末に86歳でお亡くなりになりました。1月の元旦の新聞に大きく載っていたので正月の朝からビックリです。


高峰秀子さんについては書きたいことがたくさんあったのでなかなか進まなかったブログを内容のニュアンスが変わったものになりますが完成させないといけないと思いここに無理やり完成させます。


以下の内容は昨年に途中まで書いていた内容です。





最近、「高峰秀子の流儀」という本が出版されました。私は常々「好きな女優さんは?」の質問には必ず「高峰秀子」と答えていました。でもそれを聞いた人には必ず「誰?」と言われます。現在ではあまり知られていない女優さんになってしまっています。高峰さんの映画の代表作はほとんど見ているのですが、彼女の生い立ちや現在何をしているかについてあまり興味がなく、なんとなく今は引退しているのだなという感覚でした。この本では現在の高峰さんのことについて書かれているのですが、読み進んでいくうちに彼女の特殊な生い立ちや環境、そして稀有な存在と、達観した感性や生き方を知ることができました。4歳のときに実母が亡くなり、実父の妹に半ば無理やりさらわれ北海道から東京に連れて行かれ、やがて天才子役としてたくさんの映画に出てスターになっていくのですが、学校には行かせてもらえず、まったく愛情のない養母にいじめられ、稼ぎの全てを養母とその親戚10名以上を養うために搾取され、ただひたすら働き続けたことが記されていました。


その生活の中でも高峰さんは隠れて本を読み字を覚え、どんな苦境にも耐える精神力を持ち、本物の価値を判断できる目を備え、やがては一生連れ添う夫君を見つけ映画界を引退していったことが分かります。

 

学校に行きたくても行かせてもらえず独学で字を覚えていった高峰さんが実は現在ではたくさんのエッセイや随筆を残しています。わたしはその全てを片っ端から読んでいる最中です。戦前からの映画の歴史やエピソード、今まで出会った多くの人のたくさんの思い出。そのどれもがとても豊かな表現力で生き生きと描かれています。これほど豊かな感性の女性が女優として大成功しながら決してそれにこだわらず、夫君との静かな生活を選んだことに驚きと同時に彼女の生きてきた人生の、当然の帰結であるとの納得感もあります。あれほど搾取されひどい扱いを受けた養母にでさえ、ボケた晩年までしっかりと面倒を見続けたことにも彼女の偉大な寛容さを感じます。自分を見失いそうになった25歳のころに映画祭に理由をつけて半年間パリに逃げていたことも面白いエピソードですが、半年もいなくなればみんな忘れてくれるとの思惑がはずれ、帰国すぐにたくさんの映画出演が待ち構えていて、むしろ帰国後に多くの代表作が生まれたことも興味深い話です。


夫君の松山善三さんが監督、高峰秀子さんが主演の映画「名も無く貧しく美しく」は私の心に深く残る映画です。聾唖者の貧しい夫婦が力を合わせて生きていく姿は高峰秀子さんと小林桂樹さんの演技の素晴らしさから名作だと思います。ですが私がこの物語に初めて触れたのは映画からではなく、私が12歳のときに昼のドラマで放映されていた島かおりさんと東野英心さんのものです。由紀さおりさんが歌う主題歌とともに忘れられないドラマでした。その後坂本九さん主演でスペシャルドラマで放送されたこともありました。


初めて高峰秀子さんを知ったのは「二十四の瞳」です。今では彼女の代表作であり邦画界の名作中の名作です。あれほど純粋で心の優しい学校の先生を演じた高峰さんは、林芙美子原作の「浮雲」で男のために身を崩していく悲しい女性を演じ、「喜びも悲しみも幾歳月」では灯台守の夫を支える健気な妻を演じ、さらに日本映画の初のカラー映画になった「カルメン故郷に帰る」では純粋だけど頭の弱いストリッパーを演じ、そしてわたしの好きな「稲妻」ではだらしのない家族たちの中で一生懸命まっすぐに生きていこうと必死にもがく娘を演じ、そのどれもが完璧なまでの表現力で映画の完成度を高めています。でも「稲妻」について彼女のエッセイを読むと、「ほとんど印象は無し」ってなんともあっさり。本当のプロとはそうなのかもしれません。俳優は「形」ではなく「演じる人物の心を読むこと」だと。今では当たり前のことですが、当時からそれを突き詰めていた高峰さんはやはり稀有な存在かもしれません。


亡くなられた今であっても、既に何年も前に演じることを辞めている彼女の作品は長らく増えも減りもしてないので、ただ1作、1作見ることのできるものを見続けることしかできません。ですが、彼女の映画、エッセイに触れるたびに、これほど美しく、そして魅力的で才能にあふれたな女優さんはもう出てこないだろうと思わずにはいられません。子供の時から大人だった高峰さんの絶妙な人との距離感を見るにつけ、華やかでありながらも不幸を背負わされていた彼女の心の中に誰もあけることのできないトビラがあるように感じます。夫君の松山さんにだけは本当の高峰さんを見せていたのでしょうか。松山さんがまったくコメントを出せないほど憔悴しているようです。それが答えかもしれません。


ご冥福を心からお祈りします。

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